(朝鮮民主主義人民共和国 労働党機関紙 労働新聞 2009年1月24日付)http://www.kcna.co.jp/today-rodong/rodong.htm
日本は、在日朝鮮人問題の責任から、絶対に免れることは出来ない
「在日朝鮮人問題」とは何か
○第一に、日本帝国主義による朝鮮植民地支配から生まれた問題だ。自分の意思で日本を居住地としたのでもなければ、国際紛争からの避難民でもない。大部分は、日帝の朝鮮侵略によって強制連行されてきた人々だ。
○第二に、日本が、米帝と南朝鮮と共謀し、今日まで解決せずに残してきた深刻な問題だ。
○第三に、日本の支配者が、朝鮮人に対する日本人の、世襲化され、社会の中に構造化された民族差別意識を掻き立て、理念的旗幟としての軍国主義を実現するために利用することによって、先鋭化されている問題だ。(本文から 訳者)
現時期、在日朝鮮人問題は、日本の国内外的に深刻な社会政治的問題の一つとして提起されている。日本で暮らしている朝鮮同胞たちは、我が共和国の正等な海外公民としての合法的地位を持っているにも拘らず、諸般の民主主義的民族権利を蹂躙されており、外国人としての初歩的な待遇も受けることが出来ていない。
日本の現政権は、先行政権と同じで、その所謂《拉致問題》を執拗に騒ぎ立て、反共和国対決騒動を更に強化している。
この間、日本当局が《拉致問題》などを鼻にかけて、閣僚会議で、我が共和国に対する制裁措置を四回目として延長することに決定した事は、その一つの実例となる。それだけではない、日本反動たちは、尊厳高い海外僑胞(同胞)組織である総連の、弾圧の度数をぐっと高めている。
昨年10月、日本反動たちが、その所謂《税理士法違反》と言う根拠なき口実の下に、数多い警察武力を走らせ、東京新宿区の朝鮮会館を包囲して、外部との一切の連係を遮断した中で、大よそ10時間に及んで、東京都新宿商工会、東京都商工会・西北部合同経理室、新宿合同組合、総連支部事務所などに対する強制捜索騒動を繰り広げたことが、その事を実証してくれる。
総連と在日同胞らに対する、日本反動たちの無知粗暴な弾圧騒動は、徹頭徹尾わが共和国と在日朝鮮人達に対する敵対感から出発した、極端な国粋主義的民族排他政策の産物であり、過去(日本の)植民地統治時期、日帝が朝鮮人民に掛けた前代未聞の罪悪に対する、彼らの間違った立場と態度を見せてくれるものとして絶対に容認できない反人倫的犯罪である。
在日朝鮮人問題の発生原因と経緯、その解決を悪辣に妨害して来た日本の犯罪的策動を、また一度暴く必要がある。
○ 在日朝鮮人問題に対して言えば、それは第一に、朝鮮に対する日帝の植民地統治の悪い結果により生まれた問題だ。在日朝鮮人の場合、彼らには一般の在日外国人、或いは他の国にいる僑胞達と区別される特徴があるが、それは、かれらが自分の意思で日本を居住地として選択したり、一定の公的な書類を発給され日本に旅行した途中でそのまま定着した外国人ではなく、また、第三国での武力紛争によって、避難処を求めようと日本に来た避難民でもないと言う事だ。在日朝鮮人達の大部分は、日帝の朝鮮侵略と植民地統治過程に、日本へ強制で引っ張られていった人々とその子孫達だ。
過去日帝が、我が国に対する40余年間の類例なき悪辣な植民地統治時期に犯した罪行の中で、恥辱きわまる歴史の遺物として、今日まで残されている問題の一つが、即ち在日朝鮮人問題だ。
先の世紀初め、武力で我が国に居座った日帝は、40余年間の植民地統治期間、我が人民に対する極悪無道な民族抹殺政策を実施しただけではなく、各種の悪法などを捏造し《徴用》、《徴兵》等の名目で、数多い朝鮮人たちを日本と海外に引っ張って行った。
日帝は数多い青壮年達を、強制連行、拉致して、侵略戦争のために犬死する傭兵として追い立てたり、日本と各地域の中世期的な苦役場に引き立て、奴隷のように酷使したのであり、20万名に達する朝鮮女性達を誘拐、拉致、強制連行し、日本軍《慰安婦》として恥辱と死を強要した。
日帝は、中日戦争期間にだけでも、840万余名に達する朝鮮人たちを、日本及び、その他地域に強制で引っ張って行った。
日帝は、植民地統治時期、数多い朝鮮人たちを強制で日本へ引っ張って行き、あらゆる(種類の)苦痛と不幸を負い被せただけでなく、敗亡以後、自分の故郷にも思い通りに送り帰さなかった。
日本反動たちは、船便が不足すると言う口実で在日朝鮮人たちの帰郷を人為的に妨害する一方、《日本が敗亡する事となった原因が、朝鮮人たちが米国と内通》した為だと言うなどの、荒唐(無稽)な噂を触れ回り、それを口実に在日朝鮮人弾圧と虐殺をなりわいとした。数千名の朝鮮人達を故郷へ送ってやると、船に乗せていく途中で海の真ん中で爆沈させ、野獣的に虐殺した《浮島丸》事件は、60余年の歳月が流れた今日までも、我が人民の胸から永遠に消え去っていない。
日帝の鬼畜のような蛮行によって、在日朝鮮人たちはその様に、切に願った帰郷の念願を実現する事が出来なかったのであり、祖国は解放されても、凡そ60万名も、日本に残らなければ為らない事となった。
この様に日帝の犯罪的策動によって、数多い朝鮮人たちが日本の土地に居住する事となって以来、《在日朝鮮人の法的地位》と言う問題が生まれる事となった。
歴史的事実は、在日朝鮮人問題が、すぐる日、我が国に対する日帝の植民地統治の悪しき結果により産み出された問題であり、従って在日朝鮮人問題発生の歴史的、道徳的責任が日本にあると言うことを、はっきりと見せてくれている。
○ 在日朝鮮人問題は2番目に、日本反動たちが、米帝と南朝鮮傀儡(かいらい)徒党と共謀し悪く処理することで、今日まで解決することが出来ないまま、残されている深刻な問題だ。
在日朝鮮人問題は、その発生経緯で見ても、主権国家の正々堂々たる海外公民問題と言う意味で見ても、当然、国際法の要求に従って正当に解決しなければならない性格の問題だ。特に、日本当局は、過去日帝が犯した反人倫的罪行についてみても、在日朝鮮人たちを当然保護し尊重して、民族的権利を含んだ彼らのあらゆる権利を保障させる法的、道徳的義務がある。
しかし、日本反動たちは戦後、初めから在日朝鮮人達を敵対視しながら、初歩的な人権保障対策さえ取らなかった。彼等は米帝の《占領国統治》を口実に、如何なる法的担保もなく、在日朝鮮人問題を米軍政の処理に譲ってしまっただけではなく、米帝と共謀して在日朝鮮人達の合法的権利をやたらに踏みにじった。未済の、これもまた国際法的義務を故意的に回避しながら、在日朝鮮人問題を極めて不当に処理した。
第二次世界大戦後、日本を強占した米帝は、敗亡した日本の《戦後処理》と一緒に在日朝鮮人たちに対しても、解放された朝鮮の海外公民としての合法的地位と民族的権利を正当に解決させる代わりに、むしろ彼らに、苛酷に迫害を加えた。
米帝は、在日朝鮮人達の中で、民主主義的民族権利のための闘争が険しく生じるや、それを野獣的に弾圧した。当時、米国8軍司令官だったアイケルボゴは、1948年4月26日《声明》を発表し、《在日朝鮮達は日本法規を守れ。》と強要する一方、それを違反する場合には《ことごとく、船に乗せて海へぶち込む。》と威嚇恐喝した。これによって、神戸市のような所では、軍政司令部が《非常事態》まで宣布し、在日朝鮮人達を、次から次へ検挙投獄した。
米帝は、同様に1945年10月15日に発足された《在日朝鮮人連盟》(略称《朝連》)を始めとした四つの、在日朝鮮人団体などを強制解散させ、一部設立された朝鮮人学校までも閉鎖させ、初歩的な民族教育の権利さえ横暴に蹂躙した。米帝のこの様な弾圧蛮行に対して、日本の言論界も《日本で絶対的権力を行使した米占領軍司令部は、朝鮮人たちに解放民としての<特別な地位>が付与される事を許容しなかったのであり、日本人と同様に<被占領民>として取り扱う程度の、占領政策上の意味を付与した。》と証言した。(《統一評論》1984年9号)
在日朝鮮人達に対する米帝と日本反動たちの弾圧策動は、1951年9月8日、《対日単独講和条約》締結以後、より悪辣に強行された。日本反動政府は、《対日単独講和条約》に含まれた日本の《朝鮮独立承認》義務条項を名分として、1952年4月法務省民事局長の名の下に、日本の戸籍に入っていなかった在日朝鮮人対して一律的に《無国籍人》に作り上げてしまった。
そうしては、これらを、在日朝鮮人達の民主主義的民族権利を弾圧抹殺するために、1952年3月に制定された《外国人等登録法》の適用対象に規定した。日本反動たちは、在日朝鮮人たちの法的地位を甚だしく蹂躙しただけではなく、諸般の社会的権利も認定しなかった。
1948年1月24日、日本学校教育局長と言う者は《朝鮮人学校設立の取り扱いに対して》を発表し、朝鮮人学校設立を許さずに朝鮮人学齢児童達が、日本小学校に就学することと朝鮮語教育を正式科目から除外することを要求しながら、これに服従しなければ朝鮮人学校をすべて殺してしまおうと、煮詰めたてた。これにより、日本には朝鮮人学校閉鎖願いが狂乱的に吹きつけたのであり、1949年9月、一月の間に、東京と大阪地域でだけでも、朝鮮人学校12箇所が廃止され、46箇所が日本式の《改組》を強要された。これは、本質上、過去の植民地統治時期、日帝が朝鮮人達に適用した《朝鮮教育令》と、少しも異なるものではなかった。
我が党と共和国政府は、在日朝鮮人に対する日本当局の在日朝鮮人達に対する日本当局の不当な処置に対して、厳重に抗議糾弾し、彼らの民主主義的民族権利を擁護するためのいろいろな対策を立てた。そうして、1955年日本の地に、主体形の合法的海外僑朋組織である総連が結成されたのであり、1959年から在日朝鮮人達の帰国の道が広々と開かれた。
しかし、南朝鮮の傀儡たちは、これとは正反対に、売国背族行為をしながら、在日朝鮮人問題を解決するためにどんな努力も傾けなかった。傀儡たちは在日朝鮮人の大多数が南朝鮮に故郷を置いているにも拘らず、彼らの処置に対してまったく関心を持たなかったのであり、敗北した日本反動達と共謀し、在日同胞たちの合法的地位を籠絡する行為も躊躇しなかった。事実は、在日朝鮮人問題が今日まで解決されなかったのは、全的に、米帝と南朝鮮傀儡たちと共謀結託した、日本反動たちの悪辣な妨害策動のためと言うことを、明白に実証してくれている。
○ 日朝鮮人問題は、三番目に、現時期日本反動たちが対朝鮮敵対視政策を強行し、朝鮮人に対する蔑視意識と敵対感情を日本社会に流布させ社会的偏見を助長する事でさらに、先鋭化されている問題だ。
今日、日本では異なる民族に対する蔑視意識、特に朝鮮人に対する敵対感と偏見が極度に至っている。在日朝鮮人達に対する日本反動らの蔑視と差別は、単純に民族的差別が世襲化されて、体質化された日本社会の構造的特性だけによるのではない。その主たる要因は、日本反動たちが軍国主義復活を、彼らの《理念的旗幟(きし)》として掲げ、その実現のために意図的に策動するところにある。
歴史的に、日本反動らは、軍国主義を単純な理念上の問題としてではなく、生存と繁栄のための現実的要求として押し立ててきている。ここから日本では、戦後半世紀が遥かに超える期間、極端な朝鮮民族差別政策が実施されてきており、これで在日朝鮮人達の、人権と法的地位が大きく脅威を受けている。
今日、日本では、極右反動勢力たちによって、真昼間に朝鮮人達が殴打(おうだ)され、朝鮮人女学生らの朝鮮チマチョゴリが刃物に切裂かれる様な、無礼で、侮辱的なごろつき行為が露骨的に強行されている。そうかと思えば、商工人達の合法的な企業活動が抑制され、在日同胞たちの自由な祖国訪問の道が遮断されている総連機関が、折に触れて強制捜査をうけたり、閉鎖されている。
世界的に見ても、日本での様に、他民族に対する苛酷な排他主義政策と露骨的なテロ行為が強行されているところは無い。日本はやはり、朝鮮人弾圧と人権蹂躙の乱舞場であり、民族排他主義の本山だ。問題は、日本当局がこの様な厳しい事態を助長し、総連と在日朝鮮人弾圧に熱を上げていることだ。彼らが、《拉致問題》、《ミサイルの脅威》などを拠り所に、日本社会に対朝鮮敵対感、総連と在日朝鮮人達にたいする敵対意識を助長し、反共和国、反総連策動に狂奔(きょうほん)していることが、その具体的表現だ。
しかし、日本反動たちは、はっきりと知らなければならない。我が人民は、ますます狂乱的に広がっている日本反動たちの反共和国、反総連策動に、湧きあがる民族的憤怒と鬱憤を禁じ得ないし、その対価を必ずや受けださねばならぬと言う意思で、胸の火を燃やしている。日本は、在日朝鮮人問題の責任から絶対に逃れることは出来ないと言うことを、肝に銘じ、総連と在日同胞たちに対する、敵対視政策を即座に撤回し、必ずかれらがすることを誠実にしなければならない。
(訳 柴野貞夫 2009年1月31日)
<参考>
☆ 拉致問題の核心である「横田めぐみ・偽遺骨」は、日本政府による国家的でっち上げである
☆ 関東大震災における、朝鮮人大虐殺85周年を迎えて
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